ほぼ1ヶ月のご無沙汰になってしまった。
ゴールデンウィークは、皆さんいかがお過ごしでしたか。
先日、片付けをしていたら、昔の講義資料が出てきた。
『“認知症”の人?そうでなくて認知症の“人”なんだ。』という資料。
この話は、もう15年以上前によく話されていた話。
認知症の◯◯さんではなく、◯◯さんが認知症になったという意味で、アルツハイマーの◯◯さんじゃない。◯◯さんという人がアルツハイマーという病気になったわけで、その人をちゃんと見る視点を持とうという話なのだが、そんなの当たり前のことと軽く語っていた自分がいた。
でも、15年以上が経ちその視点で、自分はいるのだろうか…。
確かに、仕事で関わるクライエントに対しては、そうした視点でいられると思う。
しかし、目の前に居ない、見えていない人へはどうだろう。
例えば、高齢者の逆走やブレーキの踏み間違いの事故のニュースを見て、自分の心の中に「だから返さなけりゃダメなんだ」と批判的心情は全くないのか…。
高齢者の自動車事故だけでない。
自分の理解の範疇を超える行動をとる人や迷惑だな〜と思われる行為を街角で見かけたとき「全くもって、迷惑千万!」と怒ってみたり、反対に関わらないように避けたり。
そんな自分の心はないだろうか…。
もちろん、社会のルールを守らないことへの怒りはある。
でも、「この人はなぜ、そうしたのか…なぜそんな想いになったのか…」と考えに及ばず、自分の考えの範疇に留まり勝手に判断する自分が時々いるのです。
相手を理解すること。
それができないのは、自分の心に余裕がないのか。
それとも自分本位なのか。
いずれも、人を支援する私には弱点なのかもしれない。
自分の考えに固執してしまう私は、歳を重ねるごとにある言葉の大切さに気づくのでした。
次回につづく…。